2009年8月27日木曜日

英語学校トラの穴

NCCという英語学校に通う事にしました。

何せスリランカに渡るのが12月。
あと4カ月しかありません(汗

という訳で、本日クラス分けテストに行って来ましたが・・・・

結果は・・・・・・冠詞がありません!(私の作文!?)
途中混乱して主語が分からなくなっていますから!

言われた日本語を作文するというテストもありましたが、動詞を間違えたりしてそらあもう大変でございました。(涙


しかも学校はなんだかすごい感じ(汗


頭で作文するテストで
「女性は家にいるべきという考えは間違っている」

という作文をするのにわからずギブアップだったのですが、悔しくてすごく考えてしまいました。なんたってエセフェミニストですから

It is wrong think woman mast stay home.

後からから考えてみたのですが、これじゃ駄目なのかな??

2009年8月20日木曜日

スリジャワルナダプラコッテ


「スリ・ジャワルナダプラ・コッテ」はスリランカの首都です・・・・。

コロンボって有名な場所があって、ほぼ都市機能もそこに集まっているんだからそこにしたら?という話もあるのだろうとは思いますが、この「スリジャワルダナプラコッテ」って首都の名前には「日本とスリランカの関係の中で重要な人の名前」が入っています。

この都市の名前は実は第二代スリランカ大統領である「ジャワルダナ」さんに由来して、付けられた名前です。

しかし、何故初代じゃなくて、二代目なのか???

これは、「ジャワルダナ」さんがとっても世界的に有名な人でスリランカ人にとっては今でも誇りに思うような人だからです。


















スリジャワルナダプラコッテに建つ新しい大統領府。

日本のゼネコンが建築したそうです。

湖の中央に立つ大統領府はテロ等から建物を守っています。
攻撃し難いという意味でもこの建物がとても考え抜かれて作られたという感じが伝わって来ます。






















「屋根が日本のお寺みたいでしょ!」
とは日本に来た事もあるチャ●ル君の言葉!


















さて日本人の中で現在日本へ世界で一番角膜提供をしている国がこの小さなインド大陸の涙と呼ばれているスリランカである(ネットで読んだので相違があるかもしれませんが・・・)ということを皆さんご存知でしょうか???


前出した第2代ジャワルダナ大統領はサンフランシスコ講和条約の折にセイロン代表として大蔵大臣時代に会議に出席しています。

第二次世界大戦でスリランカは日本軍による甚大な被害を受けた。サンフランシスコ講和条約ではソ連と同様に損害賠償を求める権利があった。

ソ連が修正条項
として日本の分割統治を主張した際、スリランカ(セイロン)のジャヤワルダナは

「憎悪は憎悪によって止まず、愛によって止む。」という仏陀の教えを引用し「修正条項
に我々が賛成できない理由は、制約を付ければ日本の宋主権と平等と尊厳を取り戻すことが不可能になるからである。」と述べ日本への一切の賠償請求を放棄しアジア随一の外交官と呼ばれた。日本の今日の繁栄の礎である。


こちらのHPより引用させていただきました。

との事。

ちなみにこの

憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む

というのは仏陀の言葉だそうです。


私が旅したゴールの古い門には、「東インド会社」のしるしが刻まれていました。

そもそもスリランカは常にオランダ・イギリスの被支配地であり、島の形の通り、涙の歴史を持つ島でもあります。

ただ、当時他国を支配しうる最強最新の国々によって、最新のトレンドや技術力等の流入も多分にあっただろう事は容易に想像できます。


かつ独自の文化も古くから根付いていた海のシルクロードの拠点でありました。


ジャワルダナ大統領の正式な演説内容とも取れるものは下記サイトにも掲載されていました。


このジャワルダナ氏の演説が無かったら今の日本は在り得なかったといえます。



ジャワルダナ氏は大変な親日家でもありますが、理由として、「同じ仏教国だから」ということを述べてたそうです。

遺言の中で、臓器移植を希望し、片方の目はスリランカ人にもう片方の目は日本人へと角膜の提供をされたとの話も聞きました。

その慣習からか、日本への角膜の提供元としてはスリランカが一番だとの事です。
沢山のスリランカから頂いた角膜を日本人は知ってか知らずか移植して視力を回復しているという事です。


勿論日本もこの時のジャワルダナさんの演説に感謝を評して沢山のODAを実施して来ました。


内戦が終了した今年、来年はスリランカにとって最も大切な節目の年とも言えます。

今こそ、何か日本が本当に恩返しをする時なのかもしれません。

2009年8月18日火曜日

ジェフリーバワ建築・・・・。

スリランカに嫁いじゃったよYesterday」さんの2009/8/10のブログでスリランカの建築と日本の現代建築などについて書かれていますが、スリランカは凄く特別な気候の場所です。。。。。

何たって赤道直下で真上が太陽です。しかもアフリカ大陸からの西風が海を渡って吹いて来ます。
しかもこの地はその時々の世界を支配しうる国に支配されていたという歴史があります。
「オランダ」「イギリス」

その上、「東インド会社」(1600年)の重要拠点でもありました。
そして、海のシルクロードとして、小乗仏教が伝わったルートの地でもあります。。。。



そうゆう洗練された最新の文化が入ってくる環境で、しかも自然が沢山で、暑くてとなると皆昔から工夫して生きてきました。特にこの地に育った「ポストモダニズム建築の近代巨匠」ともいえるジェフリーバワの建築はそうした色々な理由が重なってこうした建築形式を取っていると思われます。。。



















バワの事務所だったカフェ。ご飯がいただけます♪


























バワの事務所の入り口です。左右の廊下部分にはウェイティング用のソファーが置かれています。




















ウェイティング用のソファー部分。お客さんに此処で待ってもらったのでしょうか・・・・。



























事務所内に入ってくる廊下からの階段奥に見える大きな壷の向こう側に先ほどのウェイティングソファーのある入り口玄関のパティオ(?)があります。
要するに此処を風がずーっと通りぬけする設計になっているのだろう(素人の為)と思われます。
























カフェスペースにしつらえられたソファー
入り口と中庭スペースにに平行にしつらえてあるので、風が綺麗に抜けて行きます。




















パティオの中庭の様子。壁が非常に高いのですが、不思議に風が流れます。



















スリランカではこの天井扇風機が凄く大活躍しています。この扇風機があるだけで日陰にいれば東京と温度も湿度も変わらないのに、涼しく過ごす事が可能です。
しかも日本製のものが多い!!





















カフェのレジ下にあった昔の(多分)紅茶入れ。。
中国建築の匂いも漂います・・・・。

















いただいたガスパッチォ・・・・これがピリ辛だったのでちょいと驚きました。私の知っているガスパッチョとは全然違う趣・・・・。




















一緒にいただいたカプレーゼ。味つけがそこはかとなくオリエンタル。まずいという訳では無く、オリエンタルキュイジュイーヌな感じ。

色々な文化を取り入れてそれから何かを生み出す感じ。
建築もしかり、食べ物もしかり・・・・・。




















これはお仕事で行ったゴルフ場。
こんな風に自然と建物が繋がった空間作りはお手のものです。



















これは夏休み中の学校。改装中ですが、なんかリゾートホテルのようなゆったりとしたつくり・・・。



















こちらも学校。日本の学校建築とは雲泥の差。此処は中二階を採用していて、階段でクラスが交互に作られていました。


豊かとか、恵まれたという言葉について考えます。
私は朝、旬の果物を食べている時にああ~自然が詰まっていて、恵まれているなあーと思います。幸いだなーとか。

土地の狭い東京にいると本当に恵まれた住宅というのが分らなくなりますが、やっぱりその土地土地に合った最大限の工夫と創意のある建築物が相応しいのだと思いました。

何処でもかしこでもめぐり合う巨大外資が作る四角い家とかはやっぱりやだなぁーと・・・・・。

スリランカ紀行ですが、こちら明日が最終日となります。

もう一日お付合い下さいませ!

マウントラビニアホテル最終日

翌朝起きるとすっかりスッキリ元気になっておりました。
一昨日腹痛でベットから起き上がれなかったのが嘘のようです。

ちなみに今年のお正月にフランスーバルセロナに旅行した時にも同様に当たりましたが、やっぱりベットで1日寝てなおしました(NO medicine!・・・・でも”アユールベーダの食べ物は食べましたが(笑)”)
























でもってマウント・ラビニアの階段・・・。朝見るとやっぱりコロニアル建築良いなぁーと。ヒルトンもコロンボにはあるのですが、アメリカ風の四角いホテルは本当に嫌い・・・。

世界中の何処にでもあるんだもん! (((´・ω・`)カックン…























という訳で朝食の風景♪見ただけで何だか元気に。
そういえばこのホテルに着いたときに(というかこの旅行中に本当に日本人は私達だけでした・・。)日本人の方が居て、

「あ!日本人?」
と日本語で聞かれ
「そうです!」
と答えました。

特にウナワトゥラの方では欧米人特にドイツ人ばっかりで・・・・・。どうもドイツ人の間ではアユールベーダが流行らしいですね・・・・・。

帰国してからそんな話を沢山聞きました。



















すがすがしい朝のインド洋です。この海がアフリカ大陸まで続いていて、津波の時はスマトラでの揺れによる波が「アフリカ」にぶつかって戻って来て被害となったと考えると地球は繋がっているのだなーと実感。。。





















昨日のコスプレの人達がにわかに踊り始めました!
結婚式の入場の時この派手な人達が踊りながら、新婦と新郎について歩いていくのが慣例になっているみたいです!

しかし今回は古いホテルに宿泊したせいか、凄く沢山の結婚式を目撃しました!
























ゴールフェイスで挙式の花嫁さん。サリーをアレンジしたブライダルドレス。


























付き添いのお嬢さんたちもおそろいのドレスで花嫁を引き立てます!





















花嫁さんにも申し訳ないのですが、可愛いレディ達のこのおそろいの衣装。。。。。ほんとーに可愛いです♪真ん中に入って写真撮らせて欲しいくらい(チャ●ル君は大丈夫だよ!というのですが、恥ずかしいので、遠慮しちまいました!!)

2009年8月17日月曜日

マウント・ラビニアホテル

お腹を壊して身震いしながら生まれたての小鹿のようにベットから抜けられなかった私ですが、どうにか復帰した様子を見た現地スリランカ人のチャ●ル君が
「コロンボに帰ってマウントラビニアに泊まると良いよ」
と言ってくれました。

ご一緒したチャ●ル君のお兄さんが凄く気をつかってくれました。
基本的に向こうの人は女性にとっても優しいです。。。。。


さて、とう訳でコロンボを見わたる西洋人の憧れと言われる「マウント・ラビニア」にチェックインしました。



















線路をまたいで入るマウントラビニアホテル。
此処はとても美しい王妃だった「ラビニア」に因んで付けられた地名だとか。

その後コロンボを治めていた提督の別荘となりそこで美しい乙女と提督との悲恋があったとか無かったとか。。。。文豪サマセット・モームもこのホテルのテラスで沈む夕日を見ながらその悲恋の物語を回想したといわれている由緒ただしきホテルです・・・。























ドアボーイのコスチュームも由緒の正しさと歴史を象徴しているようです。






















結婚式の祝いのダンスを踊るためにやって来ていたダンサーの皆さん。写真を撮影させていただきました。

























スリランカの皆さんのコスプレ(?)攻勢に思わず私もコスプレを!という訳で浴衣でチャレンジ!
※偶然帰国日に花火大会があるので、持って来ていただけです!!!




此処が噂のサマセット・モームも愛したコロンボを見た渡せる二回のOPENカフェコーナー










































勿論私も浴衣でディナーに望みます。ラビニアティーを飲みながらノンビリとインド洋に沈む太陽を眺めます。。。。

























次第に暮れ行くインド洋は本当に美しかったです。温度も決して東京より低いということは無いのですが、とっても風が涼しくていっくらでも居られそうでした。私達の後ろ側に居た団体は14時頃からずっと夕食くらいまでそこでビール飲んでうだうだしていました(笑)
















そしてこれが夜のマウント・ラビニア。。。

本当にロマンチックな佇まいです。。。。
写真が下手でも被写体が素敵だと素敵な写真が撮影できるという良い見本(笑)



さて気になるホテルの中ですが・・・・・。












































水周りもなかなか美麗です。









































ベットが1メートルくらいの高さにあります。
よじ登って寝る感じ♪女子には憧れの天蓋付きベットでした♪ww

しかしどんなパジャマだとベットに負けないのかは想像が付かず・・・・・・。
短パンTシャツじゃムードが半減も良いところですよね(汗

2009年8月14日金曜日

ゴールで痛い目に合いました(汗

ゴールでの散歩を終えて宿に帰る途中・・・・・(この宿の前ではペラハラの準備が宿のオーナーによって粛々と進められていたわけですが)トゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーにのりました。


















陽気なおじさんが運転するトゥクトゥク。
これに乗って小さな入り江の町ウナワトゥラへ。私達が宿泊したのはこのウナワトゥラの「Happy Banana」というホテル。


地元人のチャ●ル君が取ってくれました。

実は此処のオーナーさんは地元の名士だったらしく、トゥクトゥクでも「あそこの人は素晴らしい人だし。

あのホテルも素晴らしい!」を連発。



実は2つ隣に凄い白人用リゾートホテルがあったのですが、そこよりもオーナーさんの信頼が厚い様子でした。

コスト的には、南西海岸はリゾートで外国人価格が定着しているので、それほど安いとも言えませんが、ゲストハウスみたいな感覚で利用するには全然問題ないクオリティ。


しかもなんか湿気が80パーセント以上と書かれている割には洗濯物が数時間で乾くのに驚きました!

















暑くてなーんもやる気が起きません(笑)
ダラーとしてボーでした

この後起きる恐ろしい事件にも気付かないまま!




















ところでこの日は確か満月の夜だったのですが・・・・・。

夕方散歩をしていると私の直ぐ側の入り江のところにイルカが入り江に迷いこみました。日本では良くこうゆうニュースがあるので、近寄って行った外人に

「海へ戻れないのよ!」

と叫ぶと一生懸命に海に戻そうとしてくれます・・・・・。




















小さな街の小さな入り江なので、あっという間の人だかり。
みんな一斉に頑張ってイルカを海へ(特に白人達)と頑張りますが、脳の超音波が狂っているのか、満ち潮の波に逆らえないのか、どうしても砂浜へ打ち上げられてしまいます。

見ていて可哀想だったので、私はこの後引き上げてしまいました。


イルカがどうなったのかは不明・・・・・・。




さてこの夜。
前出の「白人専用リゾートホテル」に夕飯をふんばつしようとした私でしたが、席について、ワインを少しいただいて、料理が出て来た瞬間に

「ごめんなさい」

でございました(汗
というのも急激にお腹の痛みと吐き気に襲われてしまったのです・・・・・。


どうも「ゴールのリゾートホテルで食べたシャーベットらしい・・・・・。」(それ以外は他の人も食べているので)という結果となりました。

そしてその晩から一日の間全くベットから出る事も出来ず、チャ●ル君が買ってくれた、「マンゴスチン」だけを3時間に一個くらいしか食べられないという(一日3つ)酷い状態に!

トイレがあるところから全く持って動けないので、他の人には観光に行ってもらい静養しました。。。。






















シャーベットをいただいた某ホテル・・・・・・。
今となれば笑い話ですが・・。

2009年8月11日火曜日

ゴールへゴー

さてGalle Face Hotel Colomboに宿泊し、本当はペラヘラ祭り(<やっと覚えました!)をやっているキャンディに行く予定だった私達ですが、案内係のチャ●ル氏が

「ゴールがノンビリしていて良いところだよ。」Σヽ(゚Д゚; )ノ



という訳で、(どうゆう訳でしょうか汗)
当初の目的だった「キャンディのペラハラ」を見ないままゴール方面に向けて出発する事になった2日目午後。


















まずはコロンボ市内で喉を潤し長旅に備えます(笑)

























途中にあった寺院。菩提樹の周りに祭壇を作ってまつっていました。
みんな凄く熱心にお祈りしています。通行途中の車から裸足で降りて道路に設置されたお賽銭箱にお賽銭を入れて行く人もいました!!



















インドで噂の野良牛にも遭遇(!)と思いきやこれはちゃんとした飼われている牛で、放し飼いだそうです。そういえば犬とかもみんな放し飼いとか野良犬が沢山なのですが、襲ったりは全然なくて、道路で普通に丸くなって眠っていたりします。

直ぐ横を通っても警戒も何もありません(笑)























途中の果物屋さんでその辺り(どのあたり??)のマンゴスチンを現地人のチャ●ル君が沢山購入して渡してくれました♪(その時には後でこれが私の命を繋ぐ事になるとはこの時には露とも知らず・・・・。)





































ゴールへ行く途中はあのスマトラ島沖地震で一番被害を受けた場所と言われるところに日本からの巨大な仏陀の立像が立っていました。遠くアフリカ大陸側を臨んでいます。
























そんな長旅を通じてどうにかゴールへゴール !
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


ゴールには「ゴールフォート」と呼ばれるオランダ統治時代の城塞が港一体を守るように作られています。


この城塞の古い門には「東インド会社」の紋が刻まれています。(MIPO's Travel History★Sri Lanka観光編

この城壁1600年頃に建築された事は容易に想像が付きますが、

(東インド会社設立が1600年です。ちなみに日本では1600年に関が原の戦い終わり江戸幕府の時代が開始される頃です。石田三成が5月に処刑されています。

石田三成が殺された頃オランダ人はこれを作っていたのかーと感慨深い思いでしたが、しかし戦国時代の日本の軍団は世界で一番強かったと言われる程に勇猛果敢でもあったとの話もありますので、まあ色々ですよね(笑)

という訳でゴールフォートをお散歩。























皮肉にもこのオランダ人の支配の象徴でもある城塞が前出のスマトラ島沖地震の津波災害から古い町を守りました。。。。。。

































フォートの中の仏教寺院
まるで此処だけ地中海のようでした。


さて・・・・・ゴールには世界のアマンリゾートのホテルであるアマンガラがあります!
スリランカには何と!2つもアマンがあるんですね。

その1つがゴールに!!!

私はゴールフォートホテルでランチをしたので、此処には入らなかったのですが・・・・・。いつかアマンには泊まってみたいです!





































ジェトロ ビジネスニュース(通商弘報) (スリランカ)

Travel Map