2009年7月27日月曜日

刑事の現場















前回ご紹介した「官僚たちの夏」と並んで先日面白かったドラマがあったので、御紹介

ハゲタカのNHKさんでございます。

どうも第二話らしいのですが、これ凄く面白かった。調べてみると第一話はこちらだった模様。

現在私が見ているのは、第2シリーズで、

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あらすじはこんな感じ↓

名古屋の雑踏で起きた通り魔殺人事件。中央署に着任早々、現場に向かう啓吾(森山未来)は、犯人を容赦なく殴りつける一人の男と出会う。彼こそ署内で悪魔と恐れられる梅木刑事(武田鉄矢)だった。黙秘を続ける犯人は取調室に梅木を呼び、「殴ったことを謝れ」と命じるが、「お前みたいな奴は死んだ方がいい」と意に介さない。一方、啓吾は絶望する被害者の父親(斉藤洋介)を前に無力さを痛感していた。すると、梅木は父親の首をつかみ「俺を殴れ」と叫ぶ。

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すとーかーの被害などに切り込んでいてかなり秀逸・・・・。


なドラマに仕上がっていました。

多分ストーカーとうのが実は「病」である事について知っているわかっている人というのはそう多くないだろうなと思いながら見ていました。


ストーカーは他人との離脱着の問題で、この離脱着の問題は子供時代に問題のある家庭に育った人がはまりやすいのです。

あと他人が自分のモノだと錯覚する感覚(境界の不明瞭)は、他人との一体感を追うが故の行為に他ならなくて、これは感覚の問題なので、相手に理解させるにはパラダイムのシフトなどが必要になります。いわゆる「青春の蹉跌」みたいなものですが・・・・。

被害者が、このパワーコントロールから、逃れるには被害者は、行き先も告げずに逃亡するのが一番なんだけど。

殴ったり、付回したり
「相手が不快に思う事をしてでも相手を自分の思い通りにしたい。」

という欲求は、相手らしさを否定することで、これは最終的には、自分の自分らしさを否定することにも繋がるのですが。。。。

ほとんどのストーカーや暴力を振るう人達は、酷い寂しさに苛まされているが故に、その離脱着のプロセス過程で寂しさを埋める為に相手へのエスカレートした行為をとめられなくなります。(此処が以外と知られていない。)

猟奇的に相手が嫌がるのを楽しんでいるストーカーなどは少なくて、むしろ病的に止められずに止めたい気持ちがあるのに、もうその行為に及ばずには居られないという状態に突入して行く感じが近いのではないかと思います。(勿論私の伺いしらないダークサイドを持っている人も多々いるのだおうと思いますが、)

そうゆう人は一人ぼっちの自分の現実や、社会の現実に立ち向かうよりも、相手の気を引く事が自分を慰める手段になる感じなのですね。

大なり小なり誰にでも起こりうることなので、誰でもが、ストーカー行為の加害者にそして被害者になる可能性があるのだけれども。。。。

幼児期の未成熟な寂しさに振り回されて自分の人生を台無しにするのは勿体無いので、出来れば建設的で人と共に歩める人生を選択する成熟さと寛容さを持てるそんな人になれる教育が必要なんだろうなーと思う次第です。

なんか真面目になっちゃった(汗

2 件のコメント:

  1. ども。こちらにはお初コメです。

    >止められずに止めたい気持ちがあるのに、もうその行為に及ばずには居られないという状態

    これは知らなかったなー。
    2年ちょっと前まで私にストーカーっぽく付きまとってきた意味不明な女がいたんだけどwてっきりその行為を楽しんでるのかと思ってた。
    でも、そう言われてみればその人の目付きとかどよーんとして暗かったし、決して「楽しんで」いる風ではなかったな。むしろ不幸そうだった。
    楽しくないのにそういう行為を続けずにはいられなかったのかと思うと、なんか哀れだなー。

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  2. 初コメありがとうございまーす!
    ストーカー行為は以外と全ての人が哀れな感じかも。本人もすでにコントロールが出きないという意味では、アル等に近い病なのかもしれないね。それをしている時だけは寂しさや自分の問題に向き合わずに済む的な感じなのかも。。。

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